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欽明天皇とは、継体天皇の皇子で6世紀代の大王とされる人物である。古書によれば、初瀬川と粟原川にはさまれた地域を、(シキ)または(磯城嶋)(式嶋)(敷島)(城島)などとよばれ、この地を欽明天皇の宮とする、磯城嶋金刺宮がいとなまれたとある。『しきしま』の『しま』とは、宮廷領の一区域を指し示すことから、『しきしま』は日本国を指す言葉になった。すなわち、現在の国号は『日本』であるが、その昔は『しきしま』と呼ばれていたと言うことである。国号の発祥とも言うべき『しきしま』の地である事を示す、『磯城邑傳稱地』の碑もある。又、この欽明天皇の時代に、仏教が公伝した事から、仏教伝来の地とも言われている。。柿本人麻呂古は、万葉集にて「磯城島の大和の国は言霊の幸はふ国ぞまさきくありこそ」と歌っている。「日本の大和の国の言葉には、霊力がひそんでいる。祈れば必ず、無事に帰ってくることができる」という意味である。又、古代の市場、『つばいち』があったのもこの地で、当時は国際都市として、大いに繁栄していたと思われる。後に保田與重郎氏は、「都の名が国の称えとなった例はそのさきにもあとにもない。磯城島金刺宮こそ、大倭朝廷の力あふれてなりたった大いなる都だった。」としるされている。現在、『欽明天皇磯城嶋金刺宮跡』の碑・『仏教公伝』の碑・『柿本人麻呂の歌碑』・『磯城邑傳稱地』の碑が並んで、城嶋公園に建立されている。外山区東町には、『磯城邑傳稱地』の道案内のような石碑がある。何れにせよ、私たちが住んでいるこの外山区城島町が、日本の歴史上大きな意味を持つという事に違いは無い。
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