桜井茶臼山古墳

桜井茶臼山古墳航空写真

古墳時代前期の前方後円墳-全長207m、後円部径110m・高さ21.2m、前方部幅61m・高さ11m
後円部中央の竪穴式石室-全長6.75m・幅1.13m・高さ1・6m、天井石13枚 

桜井市内にある古墳は、分かっているものだけで大小合わせて約5000はあると言われている。これらの古墳の中で、まず第一にあげるべきは、桜井茶臼山古墳であろう。この古墳のある茶臼山は、桜井駅からやや斜め東方に1キロほどの地にあたるところで、跡見橋の手前の小路を右にとり、そこから200メートルほど粟原川沿いに竹薮をめぐり、東に出たら見える雑木林の小山がそれである。この山上の古墳がいわゆる桜井茶臼山古墳である。
古墳の築造時期は布留1式期の4世紀初め頃と考えられている。
昭和24年の秋と翌25年の夏に発掘調査が行われた結果、尾根の末端を切断して築造された古墳であると判明した。後円部を北に、前方部を南に向けた南北形式に築造されており、前方部が細く長い、柄鏡式の形態をなしていたという。(柄鏡とは、柄のついている金属鏡のこと) 
また、石室の中はすべて、天井石に至るまで、多量の朱で塗られていた。加えて、出土品がすばらしく、玉杖・玉葉・勾玉・五輪形石製品等、相当数にのぼる。なかでも立派な碧玉で造ってあった玉杖は、発掘者は勿論、一目見たもの皆一様にその美しさにうたれた。これまでに、何回か大規模な盗掘にあっていたにもかかわらず、まだこれだけ豊富な、しかも貴重な副葬品の出土品をみた事は、考古学界のためばかりでなく、我が国の文化の古さと高さに自信を持ったことであろう。
これらのことから、この古墳は、この地方の王者の墓であろうと考えられている。土地では、饒速日の命(にぎはやびのみこと)、あるいは長髄彦(ながすねひこ)の墓と伝えられている。
【墳丘測量図】
桜井茶臼山古墳墳丘測量図 後円部の径に比べて、前方部幅の広がらない柄鏡形の墳形の特徴が見てとれる。東西のくびれ部の位置がずれているのがわかる。墳丘は、後円部3段、前方部2段に築造されていて、前方部の頂部は後円部2段目の平坦面に続きその上に後円部の3段目が乗る。墳丘各段の斜面には葺石が葺かれている。後円部側の葺石の基底部が検出された際最下段では、最大で長さ50cmの石が使われ、3段積み重ねた後、約45°~55°の傾斜で葺石が葺かれている。埴輪は使用されていないが、後円部頂には方形段を取り巻く土師器壷列がある。土器列は、一重で、北辺で東西10.6m、西辺で南北13mになり、壷は北辺で24~25個、西辺で29~30個並べられていた。また、墳丘周囲を取り巻く平坦面は、周濠状遺構と呼んでいるが、かつての姿は、西側の農地の区画にとどめるのみとなってしまった。墳丘東側には、具体的な様相は明らかではないが、下層の弥生後期の住居跡が見つかっている。
【埋葬施設】
桜井茶臼山古墳石質 後円部の中央には、長さ6.75m、幅は北小口で約1.28m、南小口で約1m、高さ平均1.60mの竪穴式石室がある。「石室を構成する大小石材の全てを前面的に多量の朱彩があり、壁面として露れない部分にまで塗沫され、全く美麗」な石室である。床面は、全面板石で粘土床は無く、敷石上に直接置かれた木棺は現存長5.19m、床板の厚さは22cmあり「巨大な石室に相応しい巨大な木棺」である。材質は「トガの巨木」と鑑定されている。石室内はすでに盗掘にあっていて、副葬品はいずれも断片になり、現位置を保つ遺物はなかったものの、鉄鏃は両小口に散乱し、玉杖は主に北小口に、そして鏡片は北小口の土砂に多数含まれていた。
【出土遺物】
桜井茶臼山古墳土師器壷 (土師器壷)

後円部から出土した壷は「茶臼山型二重口縁壷」と呼ばれる。頸部が直立して筒状となる事。体部がほぼ球状で底部に穿孔を持つ事等が特徴である。現在全体の形状が分かるものは3固体ある。いずれも、底部には径7~7.8cmの円孔が焼成前にあけられている。丸底を切り取ったような形になっている。茶臼山型二重口縁壷は作成時から底部に孔をあけている事から初めから古墳で使用する事を目的として作られた儀器であり、もはや、埴輪と呼ぶほうがふさわしいのかも知れない。(小池)
桜井茶臼山古墳鏡破片 (副葬品 ― 鏡

石室幅の広い北側に頭部を向けて埋葬されたとして、鏡は主にその周辺の棺内と棺外小口部に置かれていた可能性がつよい。鏡片は、少なくとも17~19面分が確認できるが中でも、復元径が35~38になる大型鏡を含んでいて、下池山古墳例や、柳本大塚古墳例に匹敵する。
桜井茶臼山古墳玉杖 (副葬品 ― 石製品)

浅緑色に黄色い縞の入る石で作られた玉杖(左)と玉葉(下)である。威儀具としての儀杖・指揮棒を象ったとみられる玉杖は4本分ある。また、中国の玉製葬具の眼玉に通じるとして注目された玉葉は同系同大2枚と他1枚である。濃緑色の五輪搭形に似た石製品は垂飾品として装身具の用途が考えられる。軟質で淡い水色の緑色凝灰岩では、腕輪形と武器形がある。この他、石質・色調の異なる異形石製品と筒形品がある。
桜井茶臼山古墳玉葉他石製品
桜井茶臼山古墳鉄製品 (副葬品 ― 鉄製品)

鉄製品には、鉄杖と刀剣・鉄鏃・工具がある。
鉄杖・・・鉄棒の太さは2cm現存長14.7cm。この他に太さ1.5cm最大長60cmにもなる、中空の鉄杖もある。
鉄刀剣・・現存長14.1cm、刃幅3.4cmで関部が明確で、柄と鞘の木質が良く残り、朱がきれいに付着している。他に刀と短刀がある。
工具・・・・先端の尖った細いものを含む針状工具がある。他に断面が薄い長方形の(やりがんな)の柄がある。鏃においては、数多く、銅鏃は2点、鉄鏃は破片も含めて117点にもおよぶ。鉄鏃の矢柄には赤色顔料の付着が20点確認できた。口巻の下端で明瞭に途切れており、口巻部分を漆で黒に、矢柄部分を朱で赤に塗り分けていたと見られる。
桜井茶臼山古墳の鉄鏃に偏重している点に特色がある。形式は柳葉式に限られている。これは、柳葉式銅鏃のみを副葬するメスリ古墳と対極的である。また、柳葉式鉄鏃類は極めて肉厚で黒塚古墳の類例とは、重量にして2倍の開きがある。これらの事から桜井茶臼山古墳の鏃郡は、鉄鏃が銅鏃を凌駕する時期の最終段階に位置づけられる。(卜部)

※資料提供(奈良県立橿原考古学研究所付属博物館)